モヤモヤの棚卸し

横浜の父に会いに行った。

とても良いスニーカーをいただいた。いつもいつも申し訳ない……。大事に履こう。

コロナ禍でまったく服飾品を買わなくなってしまったので久しぶりに良い刺激になった。コスメや服を買いまくってたときの私が見たらビビると思う。

雑談をしている中で自分が思っていることやモヤモヤしていることをポツポツと吐き出していったらそのモヤモヤの根底に気付いた。自分が悩んでいることって自分にも分からないことが多い。関係なさそうなことでも思い浮かんだことを次々に吐き出していくと、不明瞭だった不安や悩みが鮮明になっていくんだなと28年間生きていて初めて気付いた。ちょっと瞑想に似ているような気もする。

 

家に帰って鮮明になった旦那さんへの悩みを話した。「就労に関して急かさないでほしい」「生活費をもう少し多めに負担してほしい」と伝えた。話し合った結果は良い方に落ち着いたので話してよかったと思う。

この話し合いの中で気付いたのは私が旦那さんに対して思っていた悩みは、就労や生活費に関してではなく、私の悩みに対しての反応の仕方がメインであったことだ。旦那さんは私とは真逆で自他共に認めるポジティブ・明るい性格。なので私が悩んでいるときは特に根拠がなくても「大丈夫」「なんとかなる」等の言葉や底抜けの明るさで私のモヤモヤをねじ伏せてもらいたいし、実際に今までそうしてもらえていた。

しかし最近になって「〇〇したら?」と具体的なアドバイス(主に就労に関して)を言ってくるようになった。そこで言われる解決策は私がもうずっと前から思いついていることばかりである。なので「私が悩みを打ち明けるときはモヤモヤの棚卸しをしたいときや背中を押してほしいとき。具体的なアドバイスを求めたとき以外はただ吐き出しに付き合ってほしい」と伝えた。

私が思いつかないようなことをアドバイスしてくれる人はもちろんいる。そういった人は本当に尊敬するし憧れる。けれども私は配偶者にはそれを求めない。「どうしたらいいかな?」ではなく「私はこう思う。なので〇〇してほしいけど、どう?」と伝えることが私にとっての「うまくいく夫婦の秘訣」なのかなと感じた出来事だった。結局のところ、自分のことは自分でしか決められない。